<< 日本と言う国 | main | 近況報告 >>

シアワセ

特別大きな病に侵されている人や、戦争、貧困で悩んでいる人、または誰かに狙われているなど、そういった人以外の人は、



皆自分が明日死ぬなんて考えていないだろう。



もちろん、いつかは死ぬと分かっていても、



その「いつか」はいつになっても遠い「いつか」なんだと思う。






決して「明日」ではない。









多分今回震災に見舞われた方たちも皆同じだと思う。





そして、僕も同じだ。








あの1週間前、あんな大きな地震が起こるなんて思っていないし、まったく「地震」っていうもの自体頭の中から消えていた。




ましてや、「死」なんてものはいつまでたっても「タイムマシン」と同じくらい遠い未来の話にしか思えなかった。





でも実際、たった一度の大きな地震で、たった一度の津波で多くの人が亡くなった。










今回たまたま東北の近くで起きた。





でも、もしかしたら東北じゃなく関東だったかもしれない。






もしかしたら、自分が死んでいたかもしれない。






テレビだけを見ているとドンドン現実の世界の話ではないような気がしてしまうけど、実際「死」というのはすぐ隣にある気がした。













僕は2年前、旅に出て本当に幸せなことは温かいご飯を食べたときや、肩まで風呂に浸かったとき、フカフカの布団で眠るとき、そういった当たり前のことが本当の幸せなんだと思った。







でももうひとつ、とても大きなことがあった。








生きていられること。









それはとても大きな「しあわせ」だと思う。














今日いつも通り会社に行くため駅のホームで電車を待っていた。






そして待っていた電車がようやく来た。







ドアが開き乗ろうとしたとき、僕とその前に並んでいたおじーさんに後ろからぶつかってきた女性がいた。





その女性はただぶつかってきただけではなく、僕とそのおじーさんを押し退けてひとつだけ空いていた座席に走って座った。








その女性は座席につくなり、化粧道具をだし、一生懸命鏡を睨みながら変な機械でまつ毛を曲げていた。










僕はとてもムカついた。




そして悲しくなった。





別に座りたかったわけではない。




ドンとぶつかって割り込みされたからだけではない。





前に並んでいたおじーさんを押し退けてまで座って化粧をしている女性が正直哀れに見えてしまった。







その人は終着地点に着くまでずっと鏡で自分のことを見ていた。










いや、自分のことだけしか見ていなかった。













テレビでもいっぱい訴えかけている。





僕もそう思う。













無駄な電気を消し節電をしよう。











買い占めなんてそんな自分のことだけしか考えていないことはもう止めよう。













今度の休みに久々に献血に行こうと思う。






少しながらだが募金もしようと思う。















今日も大きな地震があった。







毎日、毎日余震を身体で感じている。


コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック
calendar
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>
selected entries
categories
archives
recent comment
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM